稲核菜(いねこきな)~幻の漬け物

特集:松本の冬を食らう! > 稲核菜

産地:松本市安曇稲核
北アルプスの険しい幾筋もの谷川を集める梓川の渓谷沿いを、乗鞍・白骨・上高地へと向かう国道158号線。途中の山合いの小さな集落が、この幻の「稲核菜」のふる里です。


【写真】稲核菜

今からおよそ300余年を遡る江戸時代、野麦峠を越えて持ち込まれた飛騨の赤カブが原種とされ、歳月と共に稲核地区限定の固有種となリ、栽培量も少なく“まぼろしの”と形容されるようになりました。
野沢菜に似て非なり。草丈は(野沢菜より)短くカブは大き目。繊維質がやや多く歯ごたえも心地良く、すっきりした辛味と独特の風味は漬け菜の絶品と言われ、カブ漬けもまた美味しい。種子は雑交配を避けるために林間の畑で育てられた菜から採種され、純粋固有種を守るためのさまざまな努力が続けられています。

*稲核:冬は深い雪に閉ざされ、かつて信州と飛騨を結ぶ山越えの道、野麦街道を往来する旅人の休憩地として栄え、何処となく宿場の面影を残しています。

* 稲核菜の問い合わせ先:風穴の里/松本市安曇稲核 
TEL0263-94-2200

風穴が深める味わい

朝な夕な、涼やかに秋の気配濃くなる9月初旬の白露(9/初旬)の頃が種蒔き期。

2ヵ月程で60~70cm程に成長。2回、3回と霜に当て、葉先が紫色を帯びてきたら漬け頃。カブを切り離してぬるま湯で洗い、手がきれるような地下水に通し、大桶に塩を振りながら何層にもならべ、隠し味が施され大きな漬け物石が載せられます。
迫る山の斜面などに掘られた仄暗い風穴の中に保存され、じっくりとその味わいを深めていきます。岩間から吹き込む冷気によって、四季を通して10~15℃に保たれる風穴は、先人たちの智恵が創りだした天然冷蔵庫。いつまでも風味豊かな稲核菜の秘密はこの風穴が大きな役割を果たしているのです。

べっ甲色の稲核菜

【写真】稲核菜の漬け物

春の気配と共に、緑の漬け菜はべっ甲色を帯びはじめます。

熟成され漬け込まれたこの時期の漬け菜は、ほのかに酸味を交え、えも言われぬ味わいを醸すようになります。やがて“古漬け”と呼ばれ、熱つ々々ごはんに、お茶漬けに、酒のつまみにことのほか珍重されています。
また古漬けは、刻んで煮炒めされてひと味変わり、田舎の味・ふる里の味として食膳にのったり、おやきの具として好まれています。

小説「氷壁」と稲核菜

“~暗い土間で、つけ菜でお茶をご馳走になるが、いまもその歯にしみるつけ菜の冷たさと、多の土地のつけ物から味わえない一種独特の風味とが~”と、漬け菜の味を語る行(くだり)があります。
厳冬の前穂高岳東壁を舞台に、一世を風靡した井上靖の山岳小説「氷壁」の主人公・魚津恭太の回想シーン。
そしてまた、前穂登攀に向かう道中で“~寒さにちぢこまってでもいるように、ひっそりとしている。人の姿は見えず、稲核菜とつるし柿が傾きかかった家々の羽目に吊されてある”と稲核部落の風景描写をしています。
新聞連載が始まったのが昭和31年、構想の中で井上靖は幾度か当地を訪れているが、取材ノートにそう認められたのは昭和30年の秋頃と推測されます。

* 「氷壁」井上 靖
北アルプス前穂高岳東壁を登攀中、切れたナイロンザイル事件をテーマに、昭和31年(1956)11月24日~32年8月22日まで270回の新聞
連載小説として発表され、話題を集めた。単行本はベストセラーとなり、
登山ブームを牽引した山岳小説。

* NHK土曜ドラマ「氷壁」(6回シリーズ)2006年1月14日放映開始
「氷壁」を原案に、時代設定を変え、舞台を前穂から世界第2のカラコルムの高峰・K-2に移し放映中。