松本を知る

松本市の概要~文化薫るアルプスの城下まち

松本市航空写真

松本市は、本州及び長野県のほぼ中央に位置しています。

平安時代には信濃国府がこの地に置かれ、中世には信濃守護の館の所在地として、また、江戸時代には、松本藩の城下町として栄えました。
明治40年5月1日に市制を施行し、その後、近隣の村との合併を経て現在の市域が形成され、平成19年には市制施行100周年を迎えます。

明治から、製糸業を中心とした近代産業が勃興し、大正3年には日本銀行松本支店が開業されるなど、長野県下における経済金融の中心地となりました。近代工業化は第二次世界大戦中の工場疎開に端を発し、さらに昭和39年の内陸唯一の新産業都市の指定が契機となって、電気・機械・食料品等の業種を中心に発展し、最近ではソフトウェア産業の振興が図られています。

商業は「商都松本」とも称されてきたとおり、中南信の商圏の中心として大きな商業集積を形成してきており、平成14年1月に竣工した12haの中央西土地区画整理事業、蔵のまち中町(なかまち)街なみ環境整備事業、縄手(なわて)通り整備など個性ある商店街が出現してきています。
一方、高速交通網は、平成5年に長野自動車道が全線開通。飛騨(ひだ)地方と通年で結ぶ安房(あぼう)トンネルは平成9年12月開通。平成6年の信州まつもと空港ジェット化整備により交流拠点都市としての機能も充実してきました。


また、松本市は伝統的に教育を尊重する気風が強く、明治6年の開智学校の開校に始まり、大正期には松本高等学校が招致されました。近年ではスズキメソード、花いっぱい運動が発祥するとともに、平成4年からは小澤征爾総監督のサイトウ・キネン・フェスティバル松本が毎年開催されています。平成14年には市民待望の美術館が開館し平成16年8月には、まつもと市民芸術館がオープンするなど、芸術文化の息づく教育のまちづくりを進めています。
平成12年11月1日には特例市の指定を受け、地方分権の推進と個性豊かなまちづくりを進め、平成17年4月1日には、近隣の四賀(しが)村・安曇(あづみ)村・奈川(ながわ)村・梓川(あずさ)村と合併し、また平成22年3月31日には、波田(はた)町と合併し、新松本市としての一歩を踏み出しました。

新松本市
■位 置 北緯36度14分17秒 東経137度58分19秒
(基準:松本市役所)
■面 積 978.77km
■広 さ 東西 52.2km 南北 41.3km
■標 高 592.21m(基準:松本市役所)
(最低/島内犀川約555m 最高/奥穂高岳3,190m)
■世帯数  97,357世帯(平成22年国勢調査)
■総人口 243,070人 (平成22年国勢調査)

松本の由来

松本地方は「信府統記(しんぷとうき)」に「此地信州府中ニテ、所ノ名ヲ庄内ト言フ、古此辺ヲ深志トモ又深瀬トモ称ヘ来リシ」とあるように、かつては府中(ふちゅう)や庄内(しょうない)、深志(ふかし)などと呼ばれていました。それが松本と呼ばれるようになったのは、天正10年(1582)、小笠原貞慶(さだよし)がこの地に入封し深志城を改め「松本城」と命名したことによるとされています。
貞慶がこの松本という名を取り入れた理由は

  1. 貞慶が、父祖の旧領を 回復したいという本懐(願い)を待つ(松)こと30余年でかなえられたので「松本」と称した。
  2. 小笠原家の末家・伊那の松尾に対して、深志の小笠原家は宗家=本家、つまり松尾の本で 「松本」と称した。

など諸説ありますが定かではありません。

市章

松本市 市章
昭和13年(1938)1月6日に制定されました。デザインは大阪の江原綾子さんの応募によるもの。松葉の円に本の字をデザインし、外側の円は陽春の若松を表し、市の将来の円満な発展を象徴しています。円の中心は「本」の字によって六合(りくごう)を形どり、宇宙に本市の光輝発揚を願い、形は雪の結晶を表しています。また、突起の部分は北アルプスの山岳を意味し、六角は松本藩6万石の歴史的意味、あるいは旧藩主・戸田家のはなれ六星(むつぼし)紋の意味も含まれています。

市木・市花

「市木」はアカマツで、「市花」はレンゲツツジです。
昭和49年9月の制定で、どちらも市民のみなさんのアンケート結果で人気のあったものの中から選ばれました。アカマツはマツ科の常緑高木、レンゲツツジはツツジ科の落葉低木で、いずれも松本市にふさわしい木と花です。

松本市 市木:アカマツ 松本市 市花:レンゲツツジ


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