城の蔵
170年続いたといういちやま旅館のその後はどうなるのだろう?と見守っていました。2008年3月吉日「城の蔵」というホテルに生まれ変わったようです。
「城の蔵」と書いて「じょうのくら」と呼ぶそうです。
客室は和室5室、洋室7室
いちやま旅館としての内装を出来るだけ残したという和室
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170年続いたといういちやま旅館のその後はどうなるのだろう?と見守っていました。2008年3月吉日「城の蔵」というホテルに生まれ変わったようです。
「城の蔵」と書いて「じょうのくら」と呼ぶそうです。
客室は和室5室、洋室7室
いちやま旅館としての内装を出来るだけ残したという和室
レンガ敷きの道が通りの中心施設パルコまで続いており、別名「パルコ通り」とも呼ばれています。飲食・ショッピングなど、若者を中心に人気の通りです。
お土産屋・レストラン・カフェ・洋服屋・雑貨店・美容室などたくさんのお店がレンガ道の両サイドに立ち並んでいます。通りの中には、花時計公園があり、市民の憩いの場となっています。ぶらりとウィンドウショッピングを楽しんでみるのも良いかもしれません!
昼も夜もオシャレに過ごせますよ!デートコースにぴったりの通りです。
松本大学の学生がインターンシップ研修で取材した、お勧めの公園通りスポット・お店はこちらからご覧ください。

乗鞍岳の東山麓に広がる標高1200m〜1800mにかけての一帯が乗鞍高原。広大な一の瀬園地、原生林や池、湿原、個性的な滝、新緑、紅葉、泉質の異なる四つの温泉、四季の花々など、まさに大自然の魅力あふれるスケールの大きい高原リゾートです。
乗鞍高原遊び尽くしプラン集をご覧ください。
落差40m、幅15mで、乗鞍高原の三大滝のなかでは最大規模。乗鞍岳の溶岩を削り、轟音とともに一気に流れ落ち、展望台まで水しぶきを上げる豪快な滝の姿は見事。滝上流を遊歩道に沿って進むと、沢筋にひっそりとたたずむ千間淵があります。(標高1240m)
落差22m、幅8mの端正な滝。東向きのため朝日を受ける美しい虹が現れることもしばしば。下流には昔の滝つぼ跡が残っています。名称の由来は、イワナに引き込まれて滝つぼに落ちた村の釣り師・善五郎さんから。(標高1500m)
日本の滝百選と県の名勝指定を受けています。小大野川本沢(中央)、支流のクロイ沢(北)、無名沢(南)にかかる三つの滝の総称。岩肌を伝ったり、豪快に水しぶきを上げたりとその表情はいずれも見事。(標高1800m)
乗鞍岳を一望し、水面に映る「逆さ乗鞍」も印象的。原生林に囲まれた静かなこの池は、ルリイトトンボなどの高山性トンボやサンショウウオ、モリアオガエルの生息地として知られ、氷河期の遺存種といわれるミツガシワが群生しています。(標高1580m)
乗鞍岳を望むおよそ60万屬旅大な草原。湿原や池、白樺林をぬうように流れるせせらぎや牧草地など、まさに高原を代表する景観を誇ります。 季節には、ミズバショウ、スモモ、レンゲツツジなどの群生が一面を彩り、夏には牛が放牧されバーベキューの指定地やキャンプ場もあります。
乗鞍の動植物や地形・地質、乗鞍岳の成り立ちや、自然と人との関わりなどを学べる施設。隣には世界的にも珍しいクビワコウモリを保護観察する「バットハウス」があります。
乗鞍岳の眺望が美しい、自然いっぱいの市営レクリエーション施設。自然に癒されながら、アウトドアな遊びや各種の体験が楽しめます。
詳細はコチラ
広大な高原をより楽しむために、夏季は周遊バス(1日500円)が運行されていますのでご利用ください。レンタサイクルもお勧めです。
乗鞍高原観光情報(別ウィンドウ表示)
マップから各施設が検索できる松本市アルプス観光協会のページへ(別ウィンドウ表示)
【一言コメント】目の前に現れた「善五郎の滝」の滝つぼに落ちてはねる水の冷たさ・気持ちよさに思わず飲んでしまいました。(コメント/塩原)
世界に誇る山岳景勝地上高地では、ガイド付きトレッキングが人気を呼んでいます。上高地ならではの風景や、花々を、ガイドの解説付きでめぐると、新しい発見や感動を味わえます。
【問い合わせ】
■上高地観光旅館組合事務所 TEL:0263-95-2405
市民記者ブログ「NPGと歩く上高地」もご覧下さい。
山国ならではの食材、暮らしの知恵から生まれた味付け、手から手へと受け継がれた匠の技の美味しさ。
「味は材料で、おいしさは人柄で」といわれます。暮らしの味や郷土の料理から蕎麦、ラーメン、地酒まで、充分に松本をまるごとご賞味ください。
市民記者が推薦するお店のコーナー「いただきます、ごちそうさま松本」
松本商工会議所・飲食情報(別ウィンドウ表示)
江戸時代松本にはいくつかの宿場が設置されていましたが、宿場には物資の輸送や人の通行のために伝馬(でんま)役、助郷(すけごう)役、人足(にんそく)役が置かれていました。こうした宿場は人馬の継ぎたてなどの手数料で収入を得ていましたが、往来が激しくなり負担が大きくなる一方、脇街道と並行する通り沿いの村との中馬の争いなども激しくなり、宿場の維持も難しいものでした。
奈川では尾張藩から「尾州岡船」の鑑札を受けて中馬稼業をしており、天下無敵といわれるほどの活躍でした。
また、他の藩領との境(村井、岡田、保福寺、橋場(はしば)、川浦(かわうら)、大白川境(おおしらかわざかい)など)には口留番所(くちどめばんしょ)を設け、米、塩などの輸出入や女性や馬の通行を改め、藩への出入りを厳しくチェックしました。

中世には芳川小屋(よしかわこや)あたりに村井氏の館があり、江戸時代以前から宿としての機能を持っていたと思われます。江戸時代には、中山道から分かれて善光寺参りや伊勢参り、松本城下へ行く人々で賑わいました。明治から大正にかけての大火で多くの建物は焼失し、現在では宿場の面影はほとんどありません。
博労町(ばくろうちょう)から安原町(やすはらまち)を宿場としていました。旅籠は、主に東町(ひがしまち)にありました。松本町は千国街道や野麦街道などの起点でもあり、中馬の発着地として各地から様々な物資も集まり、各地へ運ばれていく、交通運輸や商業活動の中心地でした。
善光寺街道の宿場として天正から明暦年間(17世紀中頃)にかけて新設されました。ここで道は善光寺街道と保福寺通りに分かれています。松本町から約1里とその距離は短いが、江戸から松本城下へ入る直前の宿で重要視されました。
善光寺街道岡田宿から北へ向かい「あだ坂」とも呼ばれる刈谷原峠を越えると宿に入ります。
江戸中期以降の宿場としては小規模なものでした。火災により宿のほとんどは焼失してしまいましたが、宿場南はずれに一里塚が残っています。
刈谷原宿から、北へ約1里18町にあり、御厨神明宮や会田氏の居館もあり、古来からこの地方の中心地でした。宿泊施設として本陣・脇本陣があり、旅籠も数多くありました。明治35年篠ノ井線の開通とともに、昔の面影を無くしましたが、その町並になお宿場時代の名残をとどめています
野麦街道は、飛騨高山から野麦峠を越えて奈川寄合渡に至り、そこから木曽の薮原(やぶはら)に通じていましたが、江戸時代中期に寄合渡から奈川渡を経て松本へ向かう新しい道が整備されました。
野麦街道の宿場は、波田、稲核(いねこき)、旧奈川村には入山(にゅうやま)、古宿、寄合渡、川浦などに宿屋がありました。
「入山宿」に残る現在の松田屋の建物は、明治元年(1868)に建築されたもので、江戸時代の旅籠の様子を現在に伝えています。
松本は、城下町として政治の中心地とともに、交通の要所でもありました。
北に向かって千国街道、西に向かって野麦街道、東に向かって武石通りや保福寺通り、そして城下を南北に善光寺街道が通過していました。

北国脇往還(ほっこくわきおうかん)または北国西街道とも呼ばれ、五街道のひとつである中山道(なかせんどう)の洗馬(せば)宿から分かれて村井宿、城下に入り、岡田宿から刈谷原(かりやはら)、会田(あいだ)、麻績(おみ)を経て善光寺町へ至る19里半の道です。
善光寺参りの人々によく利用され、物資や文化交流に重要な役割を果たしました。現在、本町と伊勢町の角に「せん光寺道 野麦街道」、本町と中町の角に「せん光寺道 大町街道」の道しるべが建っています。
岡田宿の北、番所の東で善光寺街道と分かれ保福寺宿に入り、保福寺峠を越えて、上田から江戸へ向かうために利用された道で、江戸街道とも呼ばれました。松本藩では参勤交代の際はほとんどこの道を使い、江戸城米の輸送も保福寺宿に荷を集めて発送の拠点としました。
本町(ほんまち)の「牛つなぎ石」を起点に、伊勢町(いせまち)、渚(なぎさ)、波田(はた)を通り、奈川(ながわ)、野麦峠を越えて飛騨(ひだ)(岐阜県)へ抜ける道です。安房峠(あぼうとうげ)越えは難所が多かったので寛政2年(1790)に廃止され、以後は野麦峠を越えて、歩荷(ぼっか)や牛方(うしかた)による物資輸送が行われました。 この道を通って松本へ入る物資の中で有名なのは年取りの魚の鰤(ぶり)で、松本では「飛騨鰤」と呼びました。
六九(ろっく)から今町(いままち)を通り、城山の西麓を北上し、島内平瀬(しまうちひらせ)で犀川(さいがわ)・梓川(あずさがわ)を渡り、豊科(とよしな)方面へ抜けるのが千国街道です。場所にによって仁科(にしな)街道、糸魚川(いといがわ)街道、大町(おおまち)街道とも呼ばれました。「塩の道」が一番馴染みの通り名。
物資輸送道路としての役割は大きく、糸魚川から来る塩、魚類をはじめ越中(富山県)、加賀・能登(石川県)の特産物が運ばれました。
善光寺街道と平行して松本と塩尻のあいだを縦断している道です。
松本城下から東山山麓沿いの高島藩領の東、五千石の地域を通っているのでこう呼ばれました。 諏訪への近道だったので沿線の村では中馬(ちゅうま)稼ぎをするものが多く、しばしば村井(むらい)宿との争いの種となっていました。
これは内陸部で魚介を食べる知恵です。かつて信州に運ばれた魚介は、干物か塩漬けのどちらかでした。塩丸イカはイカをまるごと茹でた煮イカを塩漬けにしたもので、県外ではあまり見かけません。
松本地方では、夏になると塩丸イカを塩ぬきして、刻んだキュウリとワカメと和えて食べるが一般的です。

【山賊焼きとは】
鶏の肉をニンニクなどの入った汁に漬け込み、片栗粉をまぶしてあげたものを山賊焼き(又は山賊揚げ)と呼びます。
昭和40年頃まで松本近郊の農村部では、肉といえば家畜として飼っている鶏の肉でした。
松本では、クリスマスの季節のスーパーにもローストチキンとともに山賊焼きが並びます。
松本食堂事業協同組合発行・松本山賊焼マップ(別画面表示)
市民記者が推薦するお店のコーナー「いただきます、ごちそうさま松本」内「郷土料理」
江戸時代の終わりに軍隊の保存食として考案されたものといわれていますが、松本地方以外では早くに姿を消しているようです。松本地方では、かつて元日などの登校日や運動会などに、熨斗(のし)に包まれた味噌パンが学校で配られました。
全国の味噌生産量の30%以上を占める長野県、その中でも松本は県内第1位の「信州味噌」の産地です。松本は、清冽な雪解け水と澄んだ空気に恵まれ、味噌をはじめとする諸醸造の食品に適した土地柄です。各工場では味噌玉をつくり一年以上熟成させる昔ながらの製法で造っている味噌、天然赤味噌の二年味噌、三年味噌などの長熟味噌などが造られています。
ちなみに、鎌倉時代に中国から味噌の醸造法を伝えた禅僧法燈国師は、松本市神林出身です。
上高地から流れる梓川の水が、最初に水田に入る梓川地区。「あずさ発芽玄米」は自然の恵みいっぱいの地元産のお米を地元の工場で発芽玄米にしています。白米より低カロリーで栄養価が高く玄米より食べやすい発芽玄米は、毎日の健康をささえる主食として広がりを見せています。
松本平の東、緩やかな南斜面を持つ山辺地域はフランスのボルドーと似た地形で、明治の初期からブドウの生産が行われ長野県のブドウの発祥地として知られています。 ナイアガラ、デラウエアなど、山辺のブドウは絶品として知られ、長く生食のみ流通して来ましたが、新しい地域起こしということで、2002年にスタートしたのがワインづくり。山辺ワイナリーでは、山辺産の上質のぶどうだけを使った、ちょっと贅沢なワインづくりを手がけ、その味を求めるリピーターが年々増加しています。
松本市には、山辺の他にも四賀地区に四賀ワイナリーがあり、こちらも良質のワインとして好評です。
日本の屋根北アルプスを源とする豊富なミネラルを含む伏流水、安曇野の酒造好適米の美山錦(みやまにしき)。そして、清澄な冬の寒さと乾燥した空気。信州松本は酒造りの要素を兼ね備えた日本酒の産地です。
おやきは、長野市西部が有名ですが、信州の郷土料理として長野県内で広く食べられています。蒸したり焼いたり、そば粉を使うものなど種類も豊富です。松本地方では野菜饅頭(まんじゅう)とも呼びます。
安曇・奈川地区では、全国的にもあまり類がない日本種みつばちを飼育しています。日本蜂は古来より日本に生息する、野生のミツバチです。西洋蜂が一種類の花から蜜を集める習性があるのに対して、日本蜂は数百種類の花から蜜を集めるので、別名「百花蜜」とも呼ばれています。花粉、ロイヤルゼリー、プロポリスなどの成分が混成する貴重なハチミツです。
江戸の昔から筑摩、三才、中林などで栽培されてきた松本一本ネギ。ネギは中国北方がルーツと考えられ、松本一本ネギは寒地系の太ネギの系統です。早稲で根深かで、寒さに強く、白身が太く長くやわらかいことが特徴です。やわらかさの秘訣は、土用の時期の植え替え。地味ですが、松本が誇る自慢の味です。
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